『友だち幻想』菅野仁 第一回

 

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

『友だち幻想』 第1回(全8回)

 

 

初めに 「友人重視志向」の日本の高校生

第1章 人は一人では生きられない?

第2章 幸せも苦しみも他者がもたらす

第3章 「共同性の幻想」~なぜ友達のことで悩みは尽きないのか~

第4章 「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

第5章 熱心さゆえの教育幻想

第6章 家族との関係と、大人になること

第7章 傷つきやすい私と、友達幻想

第8章 言葉によって自分を作り変える

 

 

 

はじめに

日本の高校生は「偉くなりたいとは思わない」「そこそこ生活できればいい」という将来に対する意識が他国に比べて目立つ一方で、「一生ものの友人を得たい」「いろいろな人とつながって、人間関係を豊かにしたい」という友人重視思考の傾向が突出して高い。(高校生の意欲に関する調査

その一方で、人間関係を巡る色々な悩みや問題を抱えた人も多い。いじめや引きこもりが社会問題として注目を浴びてからずいぶん時間が経つ。

つまり、日本の若者は人と人との繋がりをとても重視していると同時に、人とのつながりをどのように築き上げたら良いのかという問題について悩み人とのつながりに自信を持てなくなっている。

こうした問題を考え直すには、実はこれまで当たり前だと思っていた「人と人とのつながりの常識」を根本から見直してみる必要がある。

 

 

第1章 人は一人では生きられないのか

 

【一人でも生きていける社会だからこそ繋がりが難しい】

「人という字は人と人とが支えあって出来ている」そんな有名なドラマの一節がある。

しかし、今の時代本当にそうなのだろうか。

確かに村社会だった昔の社会では一人で生きていくことはできなかったが、貨幣という便利なツールが発達し、お金さえあれば一人でも生きていける社会になった。

よって“生き方”としては一人で生きていくことも可能だといえる。

 

しかし、ここで言いたいのは「一人で生きていけるのだから誰とも関わらずに死ぬまで生活してればいい」ということではなく、「一人でも生きて行ける社会だからこそ集団に所属する際に他人との関わり方が難しい世の中になってきていて、他人とはこう関わるべきだ、という価値観が昔とは全く違ってきている社会になっている」ということ。

 

だが、普通の人なら「そうは言っても一人では寂しいよ」と思うことがあるだろう。

では、なぜ人は一人では寂しいのか。それは人とのつながりが人間の幸福の大きな柱だからだ。

 

よって、ここまでの話をまとめた上での、「人は一人でも生きていけるか」という問いに対しての答えは「現代社会において基本的に人間は経済的条件と身体的条件が揃えば一人で生きていくことも不可能ではない。しかし一人で生きていると思い込んでいても人はどこかで必ず他の人々との繋がりを求めがちになるだろう」

 

【親しさを求める作法が昔とは違う】

人は本質的に他人と関わり合うことを求めてしまう生き物だが、人間関係に関する悩みは絶えない。哲学者ニーチェは「全ての悩みは人間関係からくるものだ」というほどだ。

なぜつながりを幸福の柱であるのに、悩みのにもなってしまうのか。

 

原因の一つには、親しさを求める作法が未だにムラ社会の時代の伝統的な考え方を引きずっているから。

学校や家庭や職場において似たようで異質な生活形態や価値観を持った人々が隣あって暮らしている今の時代に、ムラ社会的な伝統的作法はフィットしない面が色々出てきてしまっている。

そろそろムラ的な人との繋がりあいから自覚的に抜け出さなければいけない

つまり共同体的な凝集された親しさという関係から離れて、もう少し人と人との距離感を丁寧に見つめ直したり気の合わない人でも一緒にいる作法というものをきちんと考えるべき。

 

 

 

これから8回に分けて、これら個々のテーマに関して掘り下げていく。

最終的には、人と人とのつながりについて基本的な発想の転換が目的である。