『友だち幻想』菅野仁 第二回

 

 

 

 第二回(全五回)

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

 

【第2章―幸せも苦しみも他者がもたらす】

 

 

【2種類のつながり方】

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人とのつながりには大きく二つの種類が考えられる。

一つは目的はあくまでつながりの外にある場合。つまり人間関係を作ることによって自分にとっての利益を得ようとする場合のこと。

 

もう一つは人とのつながりそれ自体に目的があるような場合。例えばこの人といると楽しい気が合うなどと感じる関係のこと。これらは損得やりがいを超えたつながりと言える。このような関係を「交流」と呼ぶ。

 

 

 

【人は一人でも生きていけるが一人だけでは何となく虚しい】

人は人とつながることによって一体何を求め求めているか?

 

それはやはり「幸せになること」。

この幸せを本質的に支えるものに二つのモメント(要素)がある。

一つは自己充実というモメント。言い換えるなら自己実現という言葉でもいい表せる。つまり自分が能力を最大限発揮する場でやりたいことができるということ。

もうひとつのモメントが他者との交流

 

 

さらにこの他者との交流を二つに分けて考える。

一つは、人との深い繋がりそのものが持っている喜び。親が子供に抱く愛情や恋人との関係など。

もう一つは、他者から承認される喜び。つまり人から認められるという喜びのこと。これは社会的関係の中でその人の活動や存在が認められる。その際に、先に述べた自己充実とセットになって自分の能力を存分に発揮できる仕事をし、それが世間から高く評価されればこれ以上ない喜びを得られる。

 

 

 

 【ここまでのまとめ】 

 幸福の本質的なモメント

   1,自己充実

   2,他者との交流

    ▷交流そのものの喜び

    ▷他者からの承認

 

 

 

 

 

 

 

 

【他者=自分以外の全ての人間】

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「他者」という言葉はつながりを考える上でとても大事なキーワードになる。

 

普段の意味のままで他者という言葉を使うと、「俺とお前は他人だ」のようになんとなく冷たい感じで、関係を否定的に捉えているような感じがするが、ここで言う他者とはどんなに近い存在であろうと、自分以外は全て他者。

 

「他者」を「自分とは違う考え方や感じ方をする他の人間」という意味で使う。

つまり、他者=自分以外の全ての人間。

 

実は親しい関係であれば親しい関係だからこそ、この他者であるという認識は重要になる。そしてこの他者という認識をしっかり持っていないと自分という存在も明確にならない。

 

 

 

【「見知らぬ他者」と「身近な他者」】

この他者という概念だが大きく2種類に分けることができる。

一つは「見知らぬ他者」。これはほとんど他人という言葉に置き換えられる。

もう一つは「身近な他者」という考え方。これはあまり日常では使わないが、重要なキーワード。

 

意識したいのは、いくら親しい人間であっても自分が知らないことがあるし自分とは違う性質を持っている、ということ。これを異質性と言う。

 

 

 

【異質性を持った「他者」である】

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「自分以外の人は見ない姿勢を保つ他者である」ということはすべての人間関係を考える上で基本的な大前提となる。普段の感覚だとなんだかマイナスなイメージがしてしまうかもしれないがそうではない。

 

むしろ例えば「親友なら自分の気持ちを全てわかってくれるはずだ」などと考えてしまうほうが、もしかすると自分しか見えていない他者の存在を無視した傲慢な考えである可能性もある。

よって相手を他者として意識するところから本当の関係や優しさというものは生まれるもの。

 

 

 

【「他者」の二重性】

他者とはどんな存在なのか?

基本的に他者には二重の本質的な性格がある。

 

1「脅威の源泉」としての他者

これは、とにかく自分を脅かす存在や恐い存在としての他者。例えば夜道を一人で歩いている時に後ろからコツコツと足音がしたら恐怖感を覚える。この場合は相手が「脅威の源泉」であるといえる。あるいは例え身近な他者でも何気ない一言や思わぬ一言で傷つけられることもある。よって、どんなに身近な他者であっても脅威の源泉になる可能性がある。

 

2「生の味わいの源泉」としての他者

もう一つは生きる喜びを与えてくれる存在としての他者というものがある。つまり嬉しくてワクワクと高揚した気分になる喜びをもたらしてくれる存在のこと。

 

 

 

【人は他者の二重性に振り回される】

 

私たちにとって他者という存在がややこしくなるのはなぜか?

それは「脅威の源泉としての他者がたくさんいるから」

 

 

ではなく、2種類の他者が同時に存在するから。

2種類のうちどちらか一方だけなら楽。脅威の源泉としての他者ばかりがいるならば、人との関わりを断ち切ればいい。逆に、生の味わいをもたらしてくれる他者ばかりならば、人との繋がりをより密接にすることで解決できる。

 

しかし現実において周囲には二つの種類の他者が同時に存在するため関わり合いが難しいくなってしまう。

つまり人は他者の持つこの二重性に常に振り回されるものだと言える。

 

 

 

〈まとめ〉

 

幸せを本質的に支えるものに二つのモメント。-自己充実、他者との交流

 

「他者」とは「自分とは違う考え方や感じ方をする他の人間」のこと -異質性

 

・人間関係がややこしくなるのは、2種類の他者が同時に存在するから -二重性、「脅威の源泉:生の源泉」