意識低い系のすすめ
「意識高い系」
そんな言葉が何年か前から流行りだした。
wikipediaにはこうある。
意識高い系とは、自分を過剰に演出するが中身
が伴っていない若者、前向きすぎて空回りして
て使用されることが多い。
また最近は中身が伴わない者だけではなく、
ガリ勉や就活本気モードの人間を指すこともある。
僕は何も得ることができない授業の時にはニュースを読むし、
読んだ本はまとめて、後で見返せるようにしている。
高校まではガリ勉の同級生を馬鹿にしていたが、
自分は「意識高い系」の意味するところに入るのかもしれない。
主観的に考えてもわからないため友人に聞いてみたところ、このような結果となった。
Q僕は意識高いと思いますか?
はい 66%
いいえ 23%
その他(頭がおかしい…) 11%
少数のわけのわからない意見を除けば、
どうやら僕は意識高い系といって間違いないようだ。
しかし僕はこれに同意できない。
このことについて哲学者ソクラテスにも劣らないほど考えた。
そして以下の結論に至った。
僕はきわめて意識が低い。
それも誰よりも低い。
これは以下の経験に基づく結論である。
僕は本を読む。読んだ後にまとめて、後で確認できるようにする。
ここだけを見るなら、僕はかなり意識が高いといえるだろう。
しかし、注意すべき点はそのように行動する“動機”だ。
結論から言うと、僕の本の内容をまとめる目的は
「いかに少ない労力で能力を向上させるか」
つまり“サボり”が目的の根底にある。
このように考えるようになったのには理由がある。
はじめ、本を読むようになったきっかけは単純に面白かったから。
だが、読み重ねていくうちに内容が本当に身になっているのか疑問を感じた。
一ヶ月前に読んだ小説も「これ結末どんなんだったっけ?」と
感動したにも関わらず、完全に忘れる始末。
「こんな読み方じゃなんの意味もないんじゃないか」
そう思い、現在のように見返せるようにする習慣を身に着けた。
そのおかげで、今では読んだ本は全て一言で要約できる。
読書のコスパにおいてはかなり自信がある。
そう、誰よりも努力していない。
そして冒頭の結論に至る。
やはり僕は誰よりも意識が低い。
しかし、ここで自分の意識の低さを言いたいのではない。
言いたいのは、
「振り切って意識が低いと逆にコスパがよくなる」ということ。
これは教育心理学の世界でも証明されている。
勉強そのものを楽しんでいる人と
夢のために仕方なくやっている人を比べた時に、
言うまでもないですが前者は継続していくので、最終的な優れた結果に残す。
しかし!
コスパにおいては後者の方が優れている。
なぜかというと、人間は嫌なことを避ける生き物だから。
好きではないことは本能的に最低限のコストでこなそうとする。
面倒なことをこなす能力において勝っているのは、仕方なくやっている方なのだ。
結論「振り切って意識が低いと、逆にいい面がある」