校則について思うこと

 校則は守るべきものではなく、守るか守らないかで“学校”への従順さを測るもの

 

靴下がワンポイントかどうかなんて社会的には極めてどうでもいい

 

ならなぜ守らせるか

 

それは「校則を守るかどうか」従順さのリトマス試験紙として利用するため

 

教師は生徒が学校という機関に対してどれほど権威を感じているかを測っている

 

 

つまり

 

校則は将来就職して会社のために従順に働ける人材を選別するための手段でしかない

 

 

 

校則は生徒のタグづけ

 

先生は生徒に社会的に悪くなられては困る

 

そのため悪くなる生徒と悪くならない生徒を見分ける必要があった

 

そこで「制服の乱れは心の乱れ」と考えた

 

校則違反を不良化の予兆、サインとして捉えた

 

見た目は一目でわかるタグだから効率的

 

 

先生たちは「制服や髪型を崩している生徒は非行などの“悪いこと”をする可能性が高い」と考えている

 

 

 

地域の協力なしでは運営できなかった

 

昔は今よりも学校と地域のつながりが密だった

 

よって、地域住民からの評価が重要だった

 

だから地域における評価を下げられてはいけない

 

 

地域の評価はどういった点で下されるのか

 

 

それは制服や髪型が不真面目なものになっていないかどうか

 

特に女性からの目を意識している

 

女性は男性よりも格好に敏感

 

中高生が登校、下校する時間帯には男性は働いていた

 

従来の社会の特徴が顕著に表れている

 

 

 しかし現代はあまりつながりが密というわけではない

 

それでも周囲の目は気にしなくてはならない

 

例えば運動会や卒業式で偉そうにしゃべるお年寄りがいる

 

彼らは偉そうなのではない、実際に偉い

 

学校を評価する役目などを務めているかもしれない

 

学校が彼らから風紀が乱れていると思われ評価が下がったらどうなるのか

 

もしかすると教員の減給や罰があるかもしれない

 

そのために地域からの評価の維持は無視できない問題になっている

 

 

 

いかにバレずにやるか工夫することでスキルを学ぶ

 

校則を破ると先生に注意される

 

それをどうやって回避するか

 

本当に大事な力はそういうことによって培われる

 

 

 

結論)

 

校則は守る必要は全くない。

 

どれだけ従順かを見分ける道具でしかない

 

だから校則を守って従順さを身に着けておくと社会に順応しやすい

 

そんなの関係ないと思うなら

校則を守ることなんて無意味